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きょう聖(ねこミミ)

きょう聖(ねこミミ)

ガンダムAGEの2話、3話を作り直す 上


 バルガスは、初めて見せる悲壮な表情を浮かべた。
 「…わかった。フリット、ガンダムを、お前に託そう。ただし、1つだけ、このジジイと約束してくれ。生きろ――死んではならんっ……!」
 「……バルガス」
 バルガス爺の言葉は、少年にあった「決心」を思い起こさせた。
 母親を炎と瓦礫に飲み込まれ、世界のすべてを失った日から、フリットは幾度となく母のあとを追って、暖かな「くらやみ」のなかに還ることを思った。
 しかし、その観念を打ち払い、夜明け前の闇のなかで「生きる」ことを決心したとき、少年の心に消えない光が宿った。
《母さんが残したものを護るんだ》
 少年のなかの太陽は、ゆっくりと大きくなって、今、世界を照らそうとしていた。
 答えは決まっていた。フリットは、戦う運命だった。
 *
 ガンダムは、その巨体に似つかわしくない、なめらかな足取りで大地を歩いた。起動直前にフリットが組み入れた「姿勢制御システム」が、とりあえずは順調に動いている証拠だった。
 視線を前に向けると、いつもの日常が、その姿を一変させていた。これを行った者が、機械か人間か、わからない。しかし、そこには明確に、邪悪な意思が感じられた。
 火の海。
 人間も建物も、世界の全てを等しく焼き尽くす、地獄の海だった。
 《酷い……、酷すぎる! こんなこと、人間のやることじゃないっ!》
 UEの正体は不明だ。機械か、人間か。テロリストか、宇宙海賊か。人類の見たことのない知的生命体であるとの突拍子もない意見もあった。もっとも、UEの脅威を本気で訴える大人など皆無に等しかった。
 しかし、少年の純粋な心は、この惨状が人間によるものであると、認めるわけにはいかなかった。たとえ、その可能性があったとしても。
 街中の、いたるところで爆ぜる光の球。あの無慈悲な光の中で、何十何百という人の命が、望まぬ「くらやみ」に飲み込まれている。
《母さんもっ……!》
 全身の血液が逆流する。めまいを起こすほどの思いの奔流が、全身を駆ける。少年のなかの神と悪魔が、大きな化学変化を起こそうとしていた。
 周囲を破壊し尽くしたUEが、フリットのガンダムに向き直った。その姿は、闇のなかにたたずむ炎の番人だった。
 フリットは動けなかった。
 今すぐ攻撃するべきだと思っても、身体が動かない。少年のなかの変化が終わるまで、もう少しの時間と、きっかけがいるようだった。
 UEは、そんなフリットの事情に構わず、腕部に内蔵された武装の照準をガンダムに合わせた。
 次の瞬間、UEの手から、光の砲弾――ビームバルカンが雨のように撃ち放たれた。
 「うわあああぁっっ!」
 周囲に爆煙が立ち込める。視界がとれない。
 しかし、UEの砲撃は、ガンダムの装甲の表面を焦がしただけで、大きな損傷を与えることはなかった。
 UEが一瞬、たじろいだ――ように見えた。
 やはり、人間が乗っているのか。――が、今は、そんなことを考えている余裕などなかった。
 「やるしか、ないっ!」
 ガンダムはUEに向かって駆け出した。速い。しなやかな動きは、猫科の獣を思わせた。
 重力下における運動性なら、ガンダムはUEを上回る。フリットが担当したシステムによって、その規格外の出力は、余すことなく戦闘力に変えられていた。
 UEは未知なる攻撃にそなえ、腕を交差してガードの体勢をとる。それはいかなる攻撃にも耐えうる鉄壁のはずだった。
 しかし、ガンダムは、そのままの勢いで、ガードごとUEに体当たりを喰らわせた。
 最も原始的な攻撃だ。しかし、時代が変わっても戦いの本質が変わらないことを、少年は本能的に知っていた。
 ――グウアアァンッッ!!
 衝撃と衝突音とが、大地を揺るがす。UEは数十メートルも吹っ飛び、地面に大きな溝をうがった。
 一方、ガンダムは泰然として大地に立っていた。
 あれだけの速度で体躯を上回るUEのMS型と衝突しても、フリットの組み上げた姿勢制御システムは、機体のバランスを失わなかった。フリットたちの技術と執念が勝った。
 「うおおおぉぉっ!!」
 フリットの雄叫びとともに、ガンダムは、倒れたUEに飛びかかり、馬乗りになる。戦いの本質――それは気迫。敵を圧倒すること
 続けざまに、腰のウェポンバッグから、今ある唯一の武器――スティック状のビームナイフの柄を取り出し、UEの腹部に押し当てる。百分の一秒も無駄にしない、鮮やかな動作だった。
 ――ブッシュウウッ!!
 数千度の高熱の粒子が、UEの頑強な装甲を焼き切る。血しぶきのような火花が吹き上がった。
 UEは、最後の足掻きで腕を伸ばし、ガンダムの頭部を爪で掴んだ。反撃を試みようとするも、腹部の運動経路を断ち切られ、出力を失った機体は、フェードアウトするように動かなくなっていった。
 *
 「勝ったのか!?」
 ラーガン・ドレイスは思わず叫んでいた。そのあとから
 ――おおおぉぉっ!!
 と、大人たちのどよめきが、MS格納庫の中に響き渡った。
 普段は誰も気にも留めない、外の様子が確認できる小さなモニターの前に、今だけは人だかりができていた。
 連動するカメラが、たまたま内側から操作できたため、取り残された兵士や整備士たちは、ガンダムの戦いの一部始終を見ることができた。
 ラーガン・ドレイス中尉も、そのなかにいた。
 ラーガンは、先の戦闘で愛機のMS“ジェノアス”をUEに大破させられ、自身も足を骨折する重傷を負っていた。これから少なくとも1ヶ月は、杖の手放せない生活が待っているだろう。
 ラーガンは、軽傷を負った部下のパイロットと、体格のいい若い整備士に両脇を支えられ、ガンダムとUEとの戦闘を見ていた。MSパイロットとしての経歴の長いラーガンには、フリットの戦いの凄さがよくわかった。
 ガンダムの使った武器、ビームナイフは、どんな物質でも焼き切る、現状では最強の武器だ。今の連邦軍で、UEに対抗し得るMSの武装は、それぐらいしかないだろう。
 しかし、それはジェノアスのヒートスティック同様、極端にリーチが短く、実戦で当てるのは困難だった。
 だから、驚いたのだ。ガンダムの性能が優れているとはいえ、あのフリットが、鮮やかにUEをしとめるさまに。
 ハンガー内の空気が、劇的に変わっていった。さっきまで死人より暗い顔をしていた者たちも、今では誰よりも上気した顔を上げていた。
 ラーガンを含め、そこにいた大人は、フリットの戦いに希望を見出したのだ。
 彼らは、もしかしたら、訳も分からないうちに人間の尊厳を、木の葉の一枚よりも無意味に失わずに済むかもしれなかった。
 *
 勝利の余韻は、思ったほどなかった。
 ガンダムの足元で、仰向けに倒れたUEのMS型が、フリットを恨むように空をにらんでいる。
 ――殺したのか……?
 さっきから、その疑問だけが、何度も頭の中をよぎる。答えも決まっていた。もし、UEのMS型に人間が搭乗していたら。もし、ガンダムと同じく腹部にコックピットがあったら――。
 少年の鋭敏な感性は、この一度の戦いで、戦争の何たるかを悟った。
 命で、命をとること。
 命を惜しまない生き物はいない。だから、自然界の生き物は、争いになっても獲物を狩るとき以外で、相手を殺すまではしない。自分の命が惜しいからだ。
 しかし、人間は違う。過去の大戦では、人間と人間は、公に殺しあったという。もしかしたら、今も……。
 人間には、自分の生命より大事なものがあるのだろうか。なら、それは「何のため」にあるのか。「何の価値」があるのか――。
 フリットは、そこで考えるのを止めた。深い疲労感が、少年の思考力を奪っていた。
 ――こんなこと、人間のすることじゃない。
 だが、少年には戦うしかなかった。だから、やはり、ここは地獄なのだ。
 「帰ろう、皆のところへ……」
 人間のいる世界が、たまらなく愛しく思えた。
 フリットは疲れていた。だから、本来なら絶対に見落とすべきではない、兆しを見落としてしまっていた。レーダーが2つの影を捉えている。
 鋼鉄の黒いトカゲが2体、フリットのガンダムに向かって飛行していた。その姿は地獄の極卒を思わせた。
 *
 2体のUE機は、ガンダムの眼前に降りた。地表すれすれで、トカゲを模した飛行形態から人型に、ゆっくりと変形した。優雅な動作は、UEの技術力の高さを表していた。
 フリットは、自分のおろかさに心底イラついた。
 「何をやっている! 死にたいのか!」そう言って叱ってくれる大人が傍にいないことを恨みさえした。手のひらにあった希望が、こぼれ落ちていく。全て、自分のせいだった。大人に叱られるなんて真っ平だと思っていたが、考えを改めた。死ぬよりましだ。
 UEの機体が連邦軍のレーダーに映ることは稀だった。おそらく勝利を確信して、自ら妨害装置の類を止めたのだろう。だからこそ、その油断を見落とすべきではなかった。フリットは、攻撃の最大のチャンスを逃したのだ。
 《何をしているんだ、僕はっ……!》
 ここが地獄だから何だというのか。一瞬の判断が生死を分ける戦場だというのに。
 1体のUEが、巨大な尻尾のようなビームキャノンを大きく曲げ、肩に担ぐようにかまえた。
 くる。避けなければ。あの攻撃は、装甲だけでは防げない。
 ダメだ。どうすればいいのか分からない。心が定まらない。身体が内側から揺れる。フリットは、やはりまだ、それだけの訓練をしていないのだ。
 見える。砲身の奥に、収束する光の渦が。数カウントもしないうちに攻撃が放たれる。あれを避ければ、まだ「生きる」可能性が残る。
 避けろ。何としても避けるんだ。生き延びなければ、全てが無駄になる。母さんとの誓いも、自分の、みんなの生命も――。少年には、退くことも、死ぬことも許されない。
 ――来た! UEのビームキャノンが光を放った。回避する瞬間、フリットは、攻撃の狙いが自分ではないことに、やっと気がついた。
 光の束は、ガンダムの足元で倒れているUE機を直撃した。死んだはずのUEが、一瞬だけビクッと動いた次の瞬間、
 ――ドオオオォォーンッッ!!
 内部から炸裂するように爆散した。
 「味方をっ!?」
 爆風に足元を取られ、ガンダムが片ひざをついた。暴れ踊る炎の向こうで、2体のUEが優雅に浮き上がり、美しい変形を見せつける。そのまま、はるか上空へと消えていった。
 フリットは、今度こそシートに座っているのも苦痛なほど疲労した。
 *
 「フリット!」
 エミリー・アモンドは、MS格納庫でガンダムから降りたばかりのフリットに駆け寄った。少年の足取りは、フラフラとしておぼつかない。それがUEとの激戦のせいであることは容易に理解できた。
 しかし、エミリーが近づく前に、フリットは、むずしい顔をした大人たちに囲まれてしまった。大人たちは、フリットに何かを聞いたり、反対に説明を受けたりしていた。
 エミリーは、いつになったら自分の番が来るのか、それとも来ないままで終わるのかと、やきもきした。しばらくすると、フリットは解放された。
 「エミリー、みんなも無事だった?」
 「フリットこそ……」
 言葉にならなかった。フリットは、こんなにボロボロになっても、いつもと同じように微笑もうとした。
 たまに思いつめた表情をする以外は、同年代の男子と何も変わらないと思っていた少年が、命をかけて戦い、化け物のような――化け物としか思えない――UEを退けてくれたのだ。
 エミリーの混乱した頭では、自分たちの身に何が起きたのか、全てを把握することはできなかった。が、今こうして生きていられることが奇跡に近いということは、周囲の大人たちの反応からわかった。
 「ちょっと、疲れたな……」
 こんなことを言うフリットを見たことがなかった。エミリーは、それだけで今が非常時であることを再認識した。
 「休んでっ! さぁ、こっち……」
 エミリーは、自分が待機させてもらっていた一角に、フリットを案内した。
 フリットは、大人3人ほどが座れる長椅子に、ゆっくり横たわると、そのまま目を閉じて、動かなくなってしまった。
 エミリーの胸は、また不安で高鳴った。フリットの様子が、あまりにおかしくはないか。見えないだけで、実は、どこかに大怪我をしているのではないか。それは、もしかしたら、治療を一刻も争うような、大変な事態なのでは――。
 「お、おじいちゃんっ!」
 エミリーは耐え切れず、忙しそうな祖父の背中に声をあげた。
 「な、なんじゃ! どうした!?」
 「う……、動かないのっ!」
 「!?」
 整備班長のバルガスが見ると、フリットは眠っているだけのようだった。疲れのせいで呼吸まで忘れているのではと心配したが、細身の胸は、しっかりと上下に動いていた。
 「今は眠らせてやれ」
 「うん……」
 「とはいえ、ここではいかんな。担架を持ってこさせよう」
 「手伝う!」
 バルガスはエミリーを手で制止し、「お前はフリットに付いていてやれ」と言って仕事に戻った。
 「フリット、疲れたんだね」
 エミリーはフリットの寝ている椅子の横にしゃがみこみ、寝息も立てずに休む少年の頭を、そっとなでた。
 この少年が、心の中でずっと会いたがっていた母親なら、きっとそうしただろうと思ったからだ。
 *
 遠くで聞こえる喧騒が、少年を目覚めさせた。フリットは、明るい室内で一晩中、毛布と一緒にソファーで寝ていたらしい。
 《昨日は、そのまま寝てしまったのか……》
 自分をここまで運んでくれたのはエミリーだろうか。いや、そんなはずはない。だれだろう。運んでくれたことには感謝するが、その人は、ずいぶんと気が効かない性格らしい。人が寝ているのに、眩しいほどの照明をつけたままにしていくなんて。
 フリットは、不機嫌になりながら毛布をたぐり寄せ、もうひと眠りしようして――撃たれたように飛び起きた。
 ここは基地にある整備士たちの簡易休憩室だ。フリットも、何度か来たことがある。
 《こんなときに、何をのんびりしているんだ!》
 寝るには明るすぎる照明や、毛布のタバコ臭さなど、どうでもいいことではないか。
 《UEの攻撃は? エミリーは?》
 フリットは、ソファーから降りて、まず状況を把握しようと思った。部屋から出るとき、一瞬だけ迷ったが、照明はつけたままにした。
 *
 エミリーが満面の笑みで迎えてくれた。
 「フリット! 元気になったのね!」
 「もちろん! エミリーこそ!」
 外は朝だった。コロニーの調光装置が壊れてなければ、朝の9時ぐらいだろうか。ずいぶん寝てしまったようだ。
 基地正面の周辺は、急ごしらえの避難所のようなありさまだった。避難民は、数百人はくだらない。いたるところで炊き出しが行われた跡がある。とりあえずの朝食をとれたであろう避難者たちは、一様に疲れた様子でたむろしている。なかには兵士の誘導で、どこかへ移動しようとしている集団もあった。
 今のところ、UEの新たな攻撃はないようだった。
 「もうコロニーが、もたないだろうって……」
 エミリーは一転、沈痛な表情を見せた。
 フリットが母親を失って、このコロニーに移り住んでから7年。すでに第2の故郷といえるまでになった“ノーラ”が、再びUEの攻撃によって廃棄せざるを得ないというのだ。
 《ちくしょうっ……!》
 悲しみと怒りが一緒になって、心の奥に沈殿していく。
 フリットは聞いた。20万もの人々が、どうやって廃棄予定のコロニーから、次の避難所となる別のコロニーへと移動するのか。
 「みんな農業ブロックまで移動しているのよ。避難が終わったらコアを引っ張って、お隣のコロニーまで行くって」
 コロニーの中心軸にあたるコア部分は、農業専用区画になっている。その相当に大きな「筒」を抜き出し、推力をつけ、近くにあるコロニーまで向かうという壮大な計画らしい。
 できないことはない、と思った。ただし条件がある。その間にUEの攻撃がないことだ。もし、移動中に攻撃されれば、20万の人間が生身で宇宙に放り出されることになる。
 大変な計画だが、やるしかないようだった。
 「フリット、食べて!」
 エミリーがテントの下に作られた仮設の厨房から、大きなトレイに乗せられた朝食をもってきてくれた。
 「フリットは、昨日も食べてないから、ふたり分よ」
 トレイの上で湯気を上げる食事は、ふたり分にしては少ないようだが、朝食としては充分すぎる量だった。柔らかい芝生の上に乗せて、いただくことにした。
 「じゃぁ、わたし、後片付けがあるから……」
 そう言うとエミリーは、もと来た仮設厨房に引き返そうとした。
 後片付けということは、この食事は、おそらくは炊き出しも、この活発な少女が手伝ったのだろう。
 そんな苦労も知らず、自分は暖かい部屋であきれるほど眠っていたのだ。
 「まって、エミリー!」
 フリットは立ち去ろうとする少女の手を掴んでしまった。いや、それで良かったのだ。
 「ありがとう、本当に……、ありがとう」
 少年は、自分が人に感謝を伝えた経験が少ないことに気付き、今になって恥ずかしくなった。
 「うん」
 それでも少女は小さくうなずくと、微笑んでくれた。
 ――この別れを、最後の別れなどにはしない。
 少年は、人知れず深く決意していた。
 *
 「すまんな、ちょっといいか?」
 フリットが食事を終えるのを見計らったかのように、ラーガン・ドレイス中尉が声をかけてきた。
 ラーガンは、連邦軍のMSパイロット――自称“MS乗り”で、部隊長も努めている。ガンダムの開発にも尽力してくれて、正規のパイロットにも決定していた。
 しかし、今は松葉杖を両脇に抱え、右足を包帯と棒状の金属で固められている。きっと、この人のいい兄貴は、医者の制止を振り切って、いままで部下たちの指揮をとっていたのだろう。
 そのラーガンの唐突な提案に、フリットは声をあげてしまった。
 「ガンダムに!? 僕が!?」
 「そうだ」
 「……あ、間違えた」
 「?」
 フリットは、可能な限り胸を反らし、敬礼しながら言った。
 「じ、自分が、でありますか。ラーガン中尉!」
 「……クッ」
 笑われた。
 理由はどうあれ、ガンダムを動かして戦ったからには、自分に今までと同じ生活が待っているとは思えなかった。軍属か、入隊か。だから、フリットは、これから正式に自分の上司になるであろう先輩に対し、覚えている限りの礼儀正しい兵士の真似をしてみせたのだ。
 とにかく、この件で、少年の真摯な心が傷ついたことは確かだった。
 「なんだよ……。僕だって、みんなのために頑張ろうと思って……」
 「悪かった。だけど、口調は、今までどうりにしてくれ。……プッ」
 きっとラーガンは、自分が入隊したばかりのころの記憶など、忘れてしまったのだ。フリットは真っ赤になりながら、そう思った。
 しかし、再びガンダムに乗ることになるとは思わなかった。ラーガンは、逃げ遅れた住民をガンダムで捜索してもらいたいといった。
 でも、なぜ? UEの攻撃は、もうないのか。まともな装備がないとはいえ、ガンダムは対UE用に開発された唯一の機体だ。もしもの事態には、備えておくべきではないのか。
 「UEについては、司令部が手を打ってくれている。もちろん、攻撃があったら、すぐにでも交代できるよう、母船となる戦艦“ディーヴァ”の情報は頭に入れておいてくれ」
 「ジェノアスじゃダメなの?」
 量産機でも、住民の捜索なら十分ではないのか。
 「ああ、そのことな。ジェノアスが出はらってるってのもあるんだが……。フリットが、ガンダムに乗ってくれると、みんなが喜ぶんだ」
 「?」
 ラーガンによると、フリットのような子どもが頑張っている姿を見ると、大人も負けていられないといった気持ちになるのだという。
 なるほど。深く考えたことはないが、大人とはそういうものかもしれなかった。
 「MS乗りでもないフリットに、こんなことを頼むのは気が引けるんだが……」
 「やるよ! 僕はガンダムのシステム開発にたずさわったんだ。ジェノアスよりは乗れると思う。それにガンダムの中は、他のどんなMSよりも安全なんだよ」
 「フフ、そうだったな。今、コロニーが足元から崩れても、ガンダムなら平気だものな」
 そう。今は突然、そんなことが起きても、おかしくない時だった。だから、パイロットでもない自分にも、重要な使命が与えられたのだ。
 これが本当の初仕事だ。十分な睡眠をとった、食事もとった。若いフリットは今、やる気に満ちていた。
 ラーガンは、味方から所属と氏名を尋ねられたら「戦艦ディーヴァ所属、MS鍛冶アスノ家の末裔、フリット・アスノ」と答えろとアドバイスしてくれた。
 たしかに、これならラーガンと同じ仕事をしているとは思えない一部の頭が固い軍人も、説得しやすいように思えた。よく気が利く、親切な兄貴なのだ。
 とはいえ、「MS鍛冶」という時代を感じさせる言い方には、少し抵抗を覚えた。
 *
 コロニー“ノーラ”の上級行政官で、名ばかりの防衛委員でもあるマーシナー・イクラーカは、ここアリンストン基地の司令部にきてからというもの、イラついてばかりいた。
 それはそうだろう。崩れかけのコロニーから、自分たちだけ専用船で脱出しているような上司に、この基地の名物である変人――ヘンドリック・ブルーザー司令の見張りを任されたのだから。
 「これは、どういうことですかな? ブルーザー司令」
 「これ、とは?」
 ――この変人は、またとぼけるつもりか。わかってやっているなら悪質だ。生きて帰れたら、厳しい査問が待っていると思え!
 「なぜ、再び、あんな少年を、ガンダムに乗せるのですか!」
 「現場の判断は、大事にしたいと思っています」
 「はあぁ……」
 マーシナーは、口から魂が抜けるほど、深いため息を吐いた。
 この基地の連中は、本部に目をつけられながら最新のMSを開発したと思ったら、それに子どもを乗せているのだ。一体、何を考えているのか。マーシナーには理解のしようもなかった。
 「司令、こんな噂があるのをご存知ですか。変わり者のブルーザー司令は、ひそかのに新型のMSを開発し、連邦に反逆を企てている」
 事実だ。もちろん、ひがみで言われていることだが。
 「それはいい。では、ガンダムを使って連邦に反旗を翻し、壊れかけたコロニーでもいただきますか」
 ブルーザーは、おうように笑った。こんな時に、よく笑えるものだ。
 しかし、それによって部下たちを安心させているのかもしれなかった。この男は変人だが、カリスマはあった。
 「ブルーザー司令、私には責任があるのです。私なんかには荷が勝ちすぎる責任だが……。20万もの市民を、その生命を、どうやって守ればいいのか……」
 マーシナーは、言いながら涙が出そうだった。身体の奥から震えがくる。もう虚勢で我慢するのも限界だった。誰も、この過酷な任務を達成するための答えを教えてはくれない。マニュアルもない。どうしたらいいのか、本当に分からなかった。
 「UE次第、としか言いようがありません」
 「では、そのUEが再び攻めてきたら、どうするのですか。あのガンダムで、また少年に戦ってもらうつもりですか」
 マーシナーが見ても、あの少年の初戦闘は見事だった。しかし、あんな映画のような奇跡を何度繰り返せばいいというのか。
 「ガンダムは、UEを発見次第、回収します。動けるパイロットは少ないですが、再び少年に戦闘をさせるつもりはありません」
 「UEを発見するといっても、あいつらは連邦のレーダー類には映らない。どうやって見つけ出すのです」
 「そのことは、グルーデック副司令に説明させましょう」
 グルーデック・エイノア副司令が前に出た。業務以外では無口な、司令部でも特に得体の知れない男だった。こんな男が暗闇から出てきたら、それだけで悲鳴を上げて逃げ出してしまいそうだ。
 「昨日、ガンダムと最後に遭遇したUE機は、極めて稀なことですが、その足取りをレーダーによって探知できました。それを分析したところ、UEのベース――おそらく母艦があるであろうポイントを特定できました」
 グルーデックは大型モニターに映し出された図を指しながら、淡々と答えた。
 「もしUEが来たら、迎撃できるのかね」
 「予想されうる進攻ルートに、罠を仕掛けました。また、装甲だけのスクラップを含む、無人のジェノアス10体を、空域に周回させています。UEがこちらを攻撃しても、事前に襲撃を知ることができます」
 「レーダーの代わりに、“エサ”で釣ろうというのか。――それで、UEを確実に倒せるか」
 「やれることは、全て手を打っています。あとはUE次第です」
 結局、そういうことだ。UEのMS型は、おそろしく優秀だ。連邦の主力MSジェノアスをもってしても、傷のひとつも付けられない。落とせるとしたら、戦艦クラスの砲撃ぐらいだろう。
 しかし、大型船は、接近されたらおしまいだ。あの巨大なトカゲに張り付かれ、何隻の艦船が沈んだことか。そんな敵が、もし何十と来たら……。
 「かくして世界の命運は、少年の勇者と、黒き竜との一戦にかかっているのであった――か」
 マーシナーは何十年かぶりに、少年向けのファンタジー小説が読みたくなった。あれの結末は、どうだったか。たしか、なんのひねりもなく、少年の勇者が美しいお姫様を助け出し、邪悪な竜を倒したのだっけ。間違っても、少年と姫が、竜に食い殺されるような結末ではなかったはずだ。
 「勇者か……」
 マーシナーは自嘲したように笑うと、大型ディスプレイに映し出された巨大な白い騎士――ガンダムの姿を見つめた。そして、観念したように、豪勢なつくりの椅子へ深く腰を沈めた。
 司令部のだれもが、少年の乗るガンダムを見ていた。そこに自分たちの思いを投影せずにはいられなかった。
 グルーデック・エイノアも見ていた。しかし、彼の見かたは、そこにいる、だれとも違っていた。
 《この少年は使える》
 ガンダムの開発にたずさわり、システム全般を理解している稀有な人材。パイロットとしての技術は未熟だが、初陣で見せた闘争心は、戦士として素質を感じさせた。ラーガンが、再びガンダムにフリットを乗せることを提案したとき、真っ先に賛成の意見を進言したのもグルーデックだった。
 自分の計画を実行するためには、この少年の力を借りることになる――。グルーデックは、そう直感していた。
 頃合を読んでブルーザーが指令を出した。
 「これより司令部の総員は、ディーヴァへ移動する。マーシナー委員も、お越しください。……あと、グルーデック副指令」
 ブルーザーはグルーデックを呼び寄せ、小声で言った。
 「……例のこと、頼む」

 ディケ・ガンヘイルは瓦礫の山を歩いていた。何度も足を滑らせ、落ちそうになる。
 もう何時間も歩いていた。脚が折れるほど痛かった。体は、へとへとだった。ベッドで寝れず、朝食も取れない日が来るなんて、思ってもみなかった。
 ディケは深く後悔していた。自分がこんなひどい目に会うのは、何かの“罰”――報いに違いなかった。
 ――そうだ、あれがいけなかった。何年か前に、学校の近くにある大型食料品店から、悪友たちと一緒に10枚入りのガムを盗んだことがある。あれの報いを、今、自分は受けているのだ。でも、こんなことになるとわかっていたら、絶対にガムなんか盗まなかった。それどころか、ガムを買えるだけの金額を、募金箱に入れただろうに!
 人のいる場所に行きたい。だれでもいい、人に会いたかった。生きている人に。

 「ディケ! あなた、こんなところで何しているの!?」
 広い道に出た途端、ディケは女の子の声を聞いた。エミリーだ。同じクラスで近所に住む、幼いころは親に言われてよく遊んだエミリー・アモンドの声だ。走行中の巨大なトレイラーから、小さな顔がこちらを見ていた。
 ディケの横を通り過ぎたトレイラーは、かなり前まで進んで止まった。
 「農業ブロックに行かなかったの!?」
 エミリーは、大きなトレイラーから跳ねるように降りた。
 ――そうか、農業ブロックに逃げればよかったのか。自分はまったく逆の方向に向かっていた。
 「た、助けてくれよ、エミリー……。もう歩けない……」
 それと女の子に助けを求めたことは、みんなには黙ってもらえないだろうか。
 「おじいちゃん、ディケも……」
 「う、うぅむむ……」
 何てことだ! あの温厚なバルガス爺さんが、自分を助けることを渋っている!?
 ――そうだ、これも報いにちがいなかった。昨年だったか、友達とファンタジー映画を観たあと、それに出てくるドワーフの老人が、バルガスにそっくりだと、みんなで笑いあったことがあった。親族をからかわれて、むきになるエミリーの真っ赤な顔は、その年で最高の傑作だった。そのあと「ディケ、あなただって似たようなものじゃない!」と言い返されたことには、いささか傷ついたが。
 だからって、どうすればいいのだ。過去は変えられない。ならば、自分は、これから良い人間になることを誓おう。やりたくなくってたまらない、学校の宿題だって、優しい兄貴の助けを借りなくても、最後までやってみせる!
 「仕方がない、ディケ、エミリーもそうじゃが、お前らディーヴァの中で、大人に混じって働く気はあるな? これ以上、どさくさに紛れて、戦艦に子どもを乗せるわけにはいかんからの」
 「や、やるよっ! おれ、なんでもする!」
 考えるまでもない。この世に学校の宿題より大変なことなど、あるわけがないのだ。

 1体のMSが、漆黒の宇宙を飛行していた。黒っぽい紺色をした、トカゲのようなフォルム。連邦政府が、「正体不明の敵勢力」と呼ぶUEの量産型MS“ガフラン”だった。
 コックピットには、奇妙なパイロットスーツに身を包んだ男がいた。UEの正体は、やはり人間だった。
 彼らは、自分たちのことを“ヴェイガン”と呼んだ。
 男の名前は、デーラ・ストマックス。精悍な顔つきが、戦士であることを表していた。しかし、それ以外は、同年代の、どこにでもいる男たちと変わらなかった。兵士らしく腕や脚は筋肉質だが、最近、腹が出るようになっていた。それについて、なんらかの対策をとるべきか、迷っていた。
 デーラは、前日、部隊で急襲したコロニーを、ふたたび訪れようとしていた。攻撃するのではない。デーラの部隊長である上官をむかえにいくためだ。
 壊れかけとはいえ、敵の本拠地に単身で乗り込むのは、気分のいいものではない。MSガフランのステルス機能が、信頼に足るものであってもだ。それでも行く理由は善意などではなく、さらに上官から命じられたからにすぎない。デーラは、命令には忠実な男だった。
 デーラの隊長は、昨日の任務を終えたあと、母艦で簡単な補給をしただけで、再び敵のコロニーに向かってしまった。独断行動だ。デーラは反対したが、体を張って止めるまではしなかった。連邦の新型MSを調査するというのが口実だが、本当は好奇心を抑え切れなかっただけだろう。
 隊長は「子ども」だった。精神だけではない。年齢は、たしか13~14歳。本当のことだ。
 英才教育かなにか知らないが、ヴェイガンの指導部は、特別な才能のある子どもを見つけては、高い地位と強い権限を与え、MSパイロットとして前線に送り込んでいた。デーラには、それが気持ちの悪いことに思えた。彼らは、まだ大人の世界で、叱られながら成長するような存在なのだ。問題を起こす者も多かった。とはいえ、デーラは、表立って反論などはしない。
 しかし、彼らが戦場で上げる戦果は、驚くべきものだ。ためらう大人たちを尻目に、敵の艦砲射撃のなかを突っ切り、何隻もの戦艦を沈めた。敵MSなどは、紙人形さながらに撃墜する者もいた。デーラの隊長もそうだ。この男の長い軍人生活のなかで、実戦、模擬戦を含め、あの隊長に勝てる者など見当たらなかった。
 デーラは、前日、コロニーへ侵入したのと、同じルートをたどっていた。進入口は、コロニーの先端にある宇宙港にも近い。現在、宇宙港の周辺では、作業用MSが懸命に働いて、コロニーのコアブロックを抜き出そうとしていた。連邦政府は、コアに住民を乗せ、避難させるつもりだろう。
 コアブロックを攻撃すれば、憎むべき敵の人間を大量に殺せる。自分の戦果にもなる。しかし、デーラに、そのつもりはなかった。一番の理由は、そういった指令がないことだが、敵とはいえ本国にいる自分の赤ん坊と同じ姿をした物体が、宇宙を漂うのをまちがっても見たくはなかった。
 もちろん、そんなことを考えていることは、仲間にも知られるわけにはいかない。知られれば、軍の“教育房”行きはまぬがれないだろう。
 デーラは自嘲した。今、この男にとって、たった3ヶ月でも生活の糧を失うことは、死ぬことよりも罪なことだった。死んでも恩給は出るからだ。

 フリットのガンダムは、指定された“新開発地区”で、逃げ遅れた住民の捜索をしていた。
 晴天の正午。景色だけなら、おだやかな昼時に見える。しかし、捜索のために最大音量にしている外部マイクは、ゴウゴウという風の音を絶え間なくひろっていた。心細くなる音だった。
 コロニーに穴が開いているのだ。その穴が大きくなっているのか、近づいているのか、そこまではわからなかった。
 新開発地区には空き地も多く、高い建物も少ない。目を引いたのは、建設中の地下高速道ぐらいだ。スピーカーの大音量で、地下に伸びる真っ暗な道まで声をかけた。中には、だれもいないようだった。
 遠くに見える“旧開発地区”は、以前の発展した面影など少しも残さず、瓦礫の山になっていた。UEによる攻撃の怖ろしさを、あらためて見せつけられた。
 ガンダムは、大きな道を歩きながら、スピーカーで声をあげ続けた。反応はない。あらかたの避難は終わっているようだ。おそらく住民は、もういまい。
 そう思ったときだった。視界の下、ビルの屋上で、小さな人影を見つけた。
 ――女の子だ。長い黒髪が、風になびいていた。

 「僕の名前はフリット。フリット・アスノ。軍の手伝いで、逃げ遅れた人を捜索してるんだ。君を助けにきたんだよ」
 ガンダムの鋼鉄の手のひらが、少女に向かって、ゆっくりと伸びた。しかし、少女は後ずさった。怖ろしいのだろうか。当然かもしれない。
 フリットは、コックピットのハッチを開けて、自分の姿を見せた。強風が、フリットの髪を、ほほにまとわりつかせた。
 少女は一瞬、驚いたようだった。しかし、フリットの姿に安心したのだろう。そろそろとガンダムの手に乗った。終始、無言なのが気になった。
 少女の乗った大きな手が、コックピットの前まで移動した。少女は、そのままフリットの座るシートに滑り込んできた。少年は、それを両手で支えた。
 軽い。女の子とは、こんなに軽いものだったろうか。フリットは、触れてはいけないものに触れてしまったように、ドキドキした。
 「ご、ごめん。大丈夫だった?」
 「うん……。ありがとう」
 少女は、小さく笑った。
 本当は、少女をガンダムの手のひらに乗せて運ぶつもりだった。しかし、それでは、また怖がられてしまうかもしれない。
 コックピットは、ふたりで乗るにはせまかった。でも、少女が笑ってくれたから、良かったことにしよう――と、フリットは、思うことにした。

 ――本当に良かったのか。
 せまいコックピットで、行く場所のない少女の体は、フリットのひざの上にあった。重くはない。が、近い。こんなに女の子と近づいたことはなかった。
 盗み見た少女の横顔は、美しかった。切れ長の黒い瞳、整った白い顔。しかし、そこから彼女がどんな思いでいるのか、うかがい知ることはできなかった。
 体が熱くなる。自分の意思に逆らって、心臓の鼓動が速くなっていく。その変な音は、一方的に少女に聞こえやしないか。
 それと、どういうわけか、気まずい沈黙の中で、さっきから母さんのことばかり思い出す。フリットは、心も体も、自分の思い通りにならないことに、まいってしまった。
 フリットは、沈黙に耐えかねて口を開いた。
 「ユ、ユリン。君は、どうしてあんなところにいたの?」
 「旧開発地区から、逃げてきたの。両親と弟と、一緒だったけど、いつの間にか、はぐれてしまって……」
 《しまった……》
 フリットは、先ほどまでの浮ついた気分が、吹き飛んでいくのを感じた。
 聞くべきではなかった。少なくとも、間がもたないなどという理由では。
 ――この少女は僕と同じだ。7年前の僕なのだ。
 年齢以外に共通点のないはずの、無表情な少女に感じていた気持ちの正体は、それだったのだ。
 “旧開発地区”は、UEの攻撃で跡形もなく壊されていた。
 フリットは、それからなにを言えばいいのか、わからなくなってしまった。
「……ありがとう、助けに来てくれて、うれしかった」
 反対にユリンが、フリットを励ますように微笑んでくれた。
 フリットは、この健気な少女のために、できることがあることを、ありがたく思った。その誇りが、今の少年を支える力だった。
 コックピットには、やはり沈黙が満ちた。が、フリットに迷いはなかった。
 ――この少女を、必ず無事に帰す。
 フリットは、それが自分にできる、精一杯の誠意だと思った。

 コウモリ――のような黒い箱が、街の中を飛んでいた。小さな体と、器用な動きは、やはりコウモリに似ていた。
 黒い箱は、ビルよりも高く浮かんだ。大きな“目”で、なにかを見ている。ビル越しに立つ、白い巨人だ。白いMSは、午後の光を反射して、発光しているように見えた。
 やがて、小さな箱は、きびすを返すように離れていった。
 家路を急ぐ、やはりコウモリのようだった。仲間も合流し、4つになった箱は、地下高速道の入り口をくぐっていった。暗闇をグングンと進み、それぞれが自分の住処に戻ると、ピタリと動きを止めた。
 そこは何もないような、本当の暗闇だった。
 ――ピピピピピッ……。
 耳障りな機械音が、コンクリートに響いた。ふいに暗闇のなかに、光が浮かびあがった。翼を広げたコウモリのような細い光だった。そのコウモリが、天井に向かって飛び上がった。そのあと――何もないはずの空間で、動くはずのない大きな暗闇が動いた。

 クフッ……クフフ……。
 見つけた。やっと、見つけた。白いMS。
 あいつのガフランを倒したMSだ。
 部下の、あいつ。なんていったっけ。もう名前も忘れてしまった! クハッ!
 あいつは弱かった。大人なのに、度胸がなかった。あいつは、どうせ、すぐ死んだろう。
 どうでもいい。あんなザコ……。ククク……。
 ボクは、ちがう。まったく、ちがう。同じ人間ではない……。
 遊ぼう。ボクと、遊ぼう。この世で一番、楽しい遊びを。クフフ……。
 それを知らないのなら、教えてあげる……。

 ヴェイガンの兵士デーラの駆るMSガフランは、昨日も使ったコロニーの進入口に、なんなく近づいた。
 ここに来るまで、連邦の量産型MSの編隊が周囲を警戒しているのを見つけたが、まぬけにも、こちらには気づかずに通り過ぎていった。デーラの記憶にある限り、ガフランのステルス機能が、パイロットの期待を裏切ったことはない。
 襲撃したコロニーを、再び訪れることになるとは思わなかった。
 進入口に近づいた。ガフランのレーダーが多くの障害物を感知する。デブリだ。コロニーの大穴から、出てきたのだろう。どこから流れ着いたのか、MSや戦艦の残骸まである。崩れゆくコロニーに相応しいオブジェだと思った。
 とはいえ、スクラップの墓場にいるのは、気分がいいものではない。自分まで仲間にされてしまいそうだ。殺した人間たちに、恨みの目で見られている気持ちさえした。
 《さっさと、仕事を済まそう》デーラは思った。
 自分は生きている。生きているものには、絶えずやることがある。そもそも、許されざる罪を犯したのは、お前たちのほうではないか。そんなことを心のなかで言っても、仕方のないことだが。
 《さっさと終わらせるんだ》
 デーラが再び、思ったときだった。
 MSガフランのレーダーが、背後から迫る強力な熱源を探知した。警戒アラームがうるさい。攻撃だ。自分を狙っている。ビーム系兵器か!
 ガフランは上体をそらせ、空中で半回転するように攻撃を避けた。胸のまえを、大きな光の束が通りすぎていった。
 避けたはずだ。が、胸部の装甲が溶けている。連邦のMSの武装に、ここまでの威力はない。では、何だ? 戦艦など、背後になかったはずだ。
 デーラが考えている間にも、再び攻撃が感知された。また背後から。さっきまでの向かっていた、進行方向からだった。
 《――亡霊でもいるのかっ!》
 ガフランは、振り向きざまに避けようとした。が、光の砲弾は、ガフランの右足を捉え、膝から下を融解させていた。すぐさまシステムが、右足を根元から切りはなす。ガフランの右足は、しばし宇宙を漂ったあと、爆散してゴミの仲間入りをした。
 まわりには、ゴミしかない。そうだゴミだ。あれは戦艦の残骸などではなく、中に生きた砲台を隠し持っている。罠だったのだ。
 《連邦にも、ここまでやるやつがいるのか……》
 ガフランが高速で移動すると、攻撃は止んだ。予想通りだ。固定砲台は、照準を合わせるのに時間がかかる。
 《任務は中断だ》
 デーラは、あくまでも冷静だった。
 では、どうやって逃げる。背後には量産型MSの編隊がいた。あれが気になる。コロニーへの進入口は当然、使えないだろう。
 デーラのガフランに、コロニーの先端にある宇宙港と、その中心部から巨大なコアブロックを抜き出す様子が見えた。
 行けない距離ではない。これだけことをしてくるヤツが、どういう人間かわからない。が、数十万人がいるであろうコアの近くで戦闘はできまい。警備も薄いようだ。もっとも、巨大なコア全体を防衛するなど、今の連邦軍にできるわけもないが。

 コックピットのディスプレイに、小さなウィンドウが開いた。無線回線が入ったようだ。ウィンドウの、いかにも真面目そうな女性が言った。
 「こちらディーヴァ艦橋、オペレーターのミレース・アロイです。ガンダムのパイロット、応答できますか?」
 「は、はい。こちらガンダム、フリット・アスノです」
 ミレースは、フリットたちの様子を見て、驚いた表情をした。
 「その女の子は……」
 「逃げ遅れていた避難者です。新開発地区で救助しました」
 「そう、よくやってくれたわね。フリット」
 ミレースは、安心したように言った。
 「でも、それでは、すぐに合流するのは無理そうね……」
 ミレースは、背後の人間に指示を仰いだあと、向き直って言った。
 「フリット、できるだけ速やかに、こちらに合流してもらえる? 本艦は、これよりUEと戦闘になります」
 「えっ!」
 フリットは背筋が凍る思いだった。物語に出てくる悪魔よりもひどい、あの虐殺者たちが、また来るのというか。
 「心配しないで。敵はMS型が1機。ディーヴァだけで、なんとかなるはずよ。それに、本当に戦闘なるかは、敵の動き次第です。あなたには、宇宙港まで来てもらいたいの。戦闘が始まっていたら、安全な場所で待機して。周りの大人の言うことを、よく聞くのよ」
 「はい、わかりました」
 「港への最短ルートを示します。非常口から宇宙に出て、直接向かってもらうことになるけど、宇宙でのMSの操縦は?」
 「移動ぐらいなら、できると思います」
 「しばらく通信は、できなくなります。その子のこと、しっかり守ってあげてね」
 ミレースは、周りの大人たちにわからないようフリットに微笑むと、回線を切った。
 港への最短ルートとは、新開発地区を通り抜け、さらに奥の自然環境区にある非常口を降りて、宇宙に出るというものだった。
 フリットはガンダムを急がせた。

 フリットとユリンを乗せたガンダムは、自然環境区に来た。
 MSの背丈よりも高い木々が生い茂る、整備された森林区域だった。舗装されてない道をガンダムが歩くたび、小鳥たちが驚いて飛び去っていく。コロニーの光を反射する新緑が、目にまぶしかった。
 まるで、ここだけ時間が止まっているかのようだった。そして、このまま10年でも、100年でも変わらないのではないか――そんな錯覚をしそうだった。
 盗み見たユリンの表情も、さきほどよりは、少しだけ緊張がほどけたようだった。
 不意にユリンと目が合ってしまった。目をそらしてしまった。
 「……フフッ」
 笑われてしまった。
 「ご、ごめん……」
 「ううん。さっきから、チラチラこっちを見てるから」
 そう言って、また笑われた。フリットは、格好がつかなくても、ユリンが笑ってくれるなら、それでいいと思った。

 フリットとユリンは、港への最短ルートである非常口にたどり着いた。
 山肌が崖になってむき出し、そこにコンクリートの柱に囲まれた鋼鉄の扉がついていた。ガンダムが近づくと、その扉が低い音をたてて開いた。
 眼下に見える下り坂の通路が、コロニーの外壁までつながっているらしい。フリットも、初めて見るものだった。
 ――ゾクッ。
 不意に、コックピットのなかの気温が下がった気がした。空調に変化はない。
 フリットは、自分が緊張しているのかと思った。見るとユリンも震えていた。
 ちがう。怯えているのか……? 何に?
 ――ピピピッ!
 機械音が鳴った。答えはレーダーが示した。昨日は見過ごしてしまった、このマークは、敵の存在を示すものだった。
 ガンダムの後ろに、黒いMSが立っていた。
 「いっ、いつの間にっ!?」
 UEだ。今度こそ、緊張で顔が引きつる。知っているMSだ――昨日、飛び去っていった2機のMS、そのうちの1機――フリットが初めて倒したUEを焼き払った、紺色のMS――その後ろにいた黒いほうだ。
 黒いMSが襲いかかってきた。駆ける。動きが早い。それだけで、このMSの性能とパイロットの力が、優れていることがわかった。
 ガアアァァァンンッ!!
 ガンダムが体勢をつくる前に、黒いMSが体当たりをした。昨日の“お返し”とでもいうのか。
 コックピット内が、大きく揺れた。ガンダムが勢いよく転倒した。衝撃で、ユリンの体がシートに強く打ち付けられた。
 「うぅっ……!」
 「ユリン! 大丈夫!?」
 ユリンに大きな怪我はなかった。しかし、2人でコックピットに乗りながら、重力下での戦闘はできそうもない。
 黒いMSの追撃はなかった。その間にフリットは、ガンダムを立ち上がらせた。UEが何を考えているのか、わかるはずもなかった。
 《今は、逃げるしかないっ……!》
 フリットのガンダムは、非常口に飛び込んだ。


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